こんばんわ、院長の今野です。
先日、かねてより療養中だった母が旅立ちました。
不思議な運命を感じています。私がこの院を開業した日は「4月22日」。
そして、母が旅立った日は「2月22日」でした。
開業初日の午後診療に仕事終わりの母が駆けつけてくれたあの日も、今日と同じような雨の日でした。
母は、私の人生において、どんな時でも絶対的な味方でした。
私が体調を崩せば、朝早くから院内をピカピカに掃除し、
辞めていくスタッフにまで「ありがとうございました」と頭を下げる。
そんな「人としての見本」のような母でした。
母がよく言っていた「負けるが勝ち、ということもあるんだよ」いう言葉。
当時はその深さが分かりませんでしたが、今なら分かります。
執着せず、相手を許し、自分を律するその強さが、今の私の支えになっています。
一番追い詰められた時、前妻が去り途方に暮れる私に、母は力強く言いました。
「大丈夫。お前と私で、お前の娘をしっかり育てあげよう。私も頑張るから!」
アルツハイマーが進んでからも、仕事が遅い時は自宅に来てくれて、娘を見てくれていました。
ある夜、一緒に実家へ送って歩いている時、母がもう自分で靴紐を結べなくなっていることに気づきました。
ああ、こんな風に一緒に歩けるのも、もう最後かもしれない」と、
道端で涙が溢れたことを今でも鮮明に覚えています。
私がコロナで自宅療養していた時も、母は「食べなさい」と食材を届けてくれました。
届けてくれたものは、すべて賞味期限が切れていました。
自分の状況も分からなくなるほど病が進んでいても、
それでも「子を守りたい」という母の本能と強さに、今、思い出しても涙が止まりません。
母は、言葉を持たない命に対しても、誰より真剣に向き合う人でした。
「人間は嫌だ。動物は嘘をつかないから」と、
捨て犬や保健所の犬を4匹も引き取り、我が子のように育てていました。
病で苦しむ愛犬を前にして、「まだダメだ」と言う獣医さんと、
これ以上苦しませたくない、楽にさせてあげよう」と、母が喧嘩したこともありました。
二人で必死に理解してくれる先生を探し回り、
最期の瞬間まで愛犬を力いっぱい抱きしめていた母の姿が忘れられません。
最後に関係を確かめられた今年の元旦。
母はもう私のことがわかりませんでしたが、
去年まで会うたびに「また来てね」と私を抱きしめてくれたあの温もりは、
家族や犬たちを守り抜いたあの優しさそのものでした。
母はコーラが大好きでした。その影響で、私も未だにコーラが大好きです。
母は生前、「私が死んだら、今までの犬たちが迎えて待っててくれるんだ」と話していました。
今ごろは愛犬のゴンやマリたちに囲まれて、大好きなコーラを飲みながら、
やっとゆっくり休んでいることと思います。
実は私、母にまともに褒められたことが一度もありませんでした。
最後にもう一度、一度くらいは褒められたかったな……なんて、今さら思っています。
でも、黙って私の院を掃除してくれたあの背中が、何よりの合格点だったのかもしれません。
お袋、今まで本当にありがとう。
22日の雨の日、あなたが掃除してくれたこの院を、これからも守っていきます。
娘も来月でもうすぐ小学校卒業。空の上から、見守っていてください!
今日はしんみりとした長い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
今日という雨の日、どうしてもお袋のことを皆さんに知っておいてほしくて、つい筆が止まりませんでした。